詩仙堂(京都市左京区)

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詩仙堂丈山寺(しせんどうじょうざんじ)

京都の紅葉と桜の写真は京都の観光紅葉お寺めぐり、桜神社寺院写真集でご覧ください。

詩仙堂(しせんどう)

詩仙堂丈山寺の宗派 曹洞宗
詩仙堂の所在地 京都市左京区一乗寺門口町27
詩仙堂の拝観料 500円
詩仙堂の拝観時間 午前9時より午後5時まで
詩仙堂への公共交通機関
 叡山電鉄「一乗寺」下車、東へ徒歩約15分
 白川通を走る市バス「一乗寺下り松町」下車
 (京都駅前より市バス5系統に乗車)

詩仙堂の由緒

 初夏の頃、回遊式の枯山水庭園のきれいに刈り込まれた皐月(さつき)が白砂をかこむようにして書院からの目の前に美しく広がります。静けさの中に聞こえる僧都(そうず、ししおどし)の音が静寂をより深めます。浅い池のほとりで繊細な花を咲かせる京鹿子(きょうがのこ)を始め、早春の梅、初夏の杜若、花菖蒲、紫陽花、秋の萩、初冬の山茶花などが四季それぞれに美しく咲き、秋の終わり頃には庭を取り囲むようにして紅葉が豪快に彩りを添えます。
詩仙堂の名で親しまれていますが、昭和41年(1966)に六六山(ろくろくざん)詩仙堂丈山寺(じょうざんじ)と号する曹洞宗の寺院になりました。詩仙堂の歴史は古く、寛永18年(1641)に江戸時代の文人・石川丈山が建立した草庵「凹凸窩(おうとつか)」で、丈山はここに隠棲しました。「凹凸窩」とはでこぼこした土地に建てた住居のことです。
「詩仙の間」の四方の壁には狩野探幽(かのうたんゆう)らが描いた三十六人の中国の詩人の肖像と丈山の讃が掲げられています。これが詩仙堂の名の由縁となりました。石川丈山は徳川家康に仕えていたこともありましたが、禄を辞して当時の一流の文化人らと交わり悠々自適の生涯をこの一乗寺の地でを送りました。90歳で天寿を全うしたのは寛文12年(1672)の事です。入り口に建つ藁葺きの門の「小有洞(しょうゆうどう)」 の文字は石川丈山の直筆だそうです。 毎年5月23日には丈山忌が営まれ、この日は拝観休止となります。
 別ページの詩仙堂の紅葉の写真もご覧ください。

京都観光ガイド上詩仙堂

京都観光ガイド下詩仙堂